寿司をおごってもらう

今日は、婦長のお誘いで「寿司屋」に行くことになった。婦長が誘うときは、耳の痛い話をするときだけれど、今日は違うのだそうだ。
最近、残業続きの私達のことを思って誘ってくれた。

婦長と同じ職場で働くようになって10年以上になるが、人間の器というかその考え方なんかにとっても尊敬している。

まぁヨイショ!はこのへんにして…(笑)

寿司は、本当は1個、2個ではなく、1貫、2貫と数える。だが、なぜ「カン」という単位で数えるようになったかが不思議。

一説には、お金の単位が貫だった頃、寿司一個の値段が1貫だったことの名残りだとか、巻物の単位の「巻」が、そのまま使われたともいわれるそうだ。

まぁそんな難しい話はおいておいて、まぐろがとにかくおいしかった。まぐろの脂のトロは、体にとってもいい脂。滅多に食べられないので3貫も食べてしまった。

婦長の懐の深さに感謝しながら帰宅。
自分が歳をとったとき今日みたいに部下にご馳走することができるだろうか?

断食という健康法

透析患者さんの中に「断食」が健康にいいと…どこからか聞いてきてはじめてしまったひとがいる。案の定3日目で具合が悪くなって救急搬送された。困るなぁ。

透析患者さんの話はおいておいて、イスラム教徒は1年のうち1ヶ月は断食をしなければならないことになっている。断食を行うのは、太陰暦の九月(ラマダン)。新月の夜から次の新月が出るまでの約三〇日間だが、さて、ほんとうに彼らは断食をしているのか。そんなに長期間、食事をとらないで、はたして餓死しないのか?安心されたい。アラーの神はなかなか寛容で、断食月でも、日没から夜明けまでは、飲み食いを許しているのである。もちろん、昼間は食事はもちろん、ツバを飲み込むことさえ許されないが、午後になれば食事作りはOKで、じつと日没を待ち、日没を知らせる空砲がなると、いっせいに食事に突入するというわけ。
しかも断食月の食事は、知人を招いての豪華版。さらに食事の回数は、日没、深夜、夜明け前と三回もある。かくして、食料の消費はふだんの月の三倍にもなるというから、いったい、どこが断食月~という気がしないでもない。

体が健康であれば、ダイエット効果を期待してデトックスもいいなぁ~と思う。そばにデトックス効果があることがわかったので今週末は、戸隠に蕎麦でも食べにいこうか、考え中。

ストレス解消法

最近は、外来の仕事でも透析室の仕事でもキーッ!となることが多い。たとえば自分の考え方を変えたり、自分が一歩引くことで事がスムーズに進むのであればそれは、考え方を変えたりすることも「アリ」だとは思うけれど、ストレスがたまっておかしくなりそう。
もう10年以上も仕事をしていいてこういうことで行き詰まるとは予想もしなかった。

同期のナースが2人いるが、2人とも結婚しているし、子供もいるので「働かない」「転職」といった引き出しは最初からない。
私の場合は、最終的には、やめることも転職する方法も選べる。

人間って選択肢が多いほうが不幸なのかもしれない…そんな風に言っていた患者さんの気持ちがが今、よくわかる。

若い頃は、カラオケでストレスを発散したり、食べまくったり…いろんな解消法があったけれど今は、そんな元気がない。

婦長が、数年前からはまっているという「アロマ」について調べてみると「ストレス解消」にとても効果的と書いてあった。

今週末は、アロマセットを購入しようかと考えている。
ゆっくりゆっくり落ち着いて考えたいことがたくさんある。

ストレスがひどい | アロマテラピーの効能・効果なんかを読んでいると、呼吸なんかも大切だと書かれている。
いつも患者さんに「深呼吸」を連呼しているくせに自分ができていないこともわかってきた。
早くストレスフルから脱したい。

定期券のこと

毎日、朝6:50の電車に乗って勤務している病院に通う。定期を購入しているが最近ちょっとふと思ったことがある。
なぜ定期は1、3、6ヶ月単位なのだろう?

2か月」とか「1年」といぅ定期券は、ほとんど見かけないが、これはどうしてなんだろう?
JRによれば、その理由は2つ。ひとつは、1、3、6か月の定期で、たいていの期間はフォローできるというもの。たとえば、2か月なら、1か月の定期券を2枚。4か月なら、1か月13か月の定期券。
1年の場合でも、6か月の定期券を2枚購入すればいい。
もうひとつの理由は、学校のサイクルに合ゎせたということ。たとえば学生の場合、4、5、6月と三か月定期を使い、7月は回数券を使えば、7月後半から8月いっぱいの夏休みの間、定期券を無駄にしなくてすむというわけである。

こんな話をJRの人から聞くことが出来るのもナースという仕事をしているからだ。
病院の駐車場がもう少し、広ければマイカー通勤できるのに。

古いお金

今日は、昼休みにドクターが自慢気にかなり古いお金を見せてくれた。相当古いようで汚くて触る気にもならないものだった。
しかもその自慢話の長さが…

お金はいくら古くても、10円は10円として使うことができるそうだ。極端な話、明治時代の1円金貨を支払いに使うこともできる。むろん、金貨といっても1円の価値しかないから、コイン商に引き取ってもらうほうが、はるかに価値はある。
ただし、1963(昭和28)年に円以下の銭単位のお金は使えないと決められた。硬貨、紙幣を問わず、銭など円以下のものは現在は使えないんだそう。

どうでもいい話で貴重な昼休みが終わってしまったことが不条理で未だに腹が立っている。
今日は焼け食いだね。

売れ残ったアパレル商品

ナースは、普段どうしてもお洒落ができない環境にあるので休みの日はショッピングに出かけるのが楽しみで仕方ない。
ただ、どうしても欲しいものや目につくのは高価なものばかり。

アパレル商品は、ある意味では季節商品だし、生鮮食料品のように鮮度が大事な商品だ。売れ残ったもは、鮮度が落ちれば、ますます売れなくなってしまう。まさに、旬のうちに売らなければならない。
とはいえ、どんなものでもすべて完売、というわけにはいかない。当然、売れ残りが出る。メーカーに戻ってきたものは、どこかに売りなおさなければならない。それが分かれば、最初からそういう所に行って安く買えるわけだ。

国内で処分しようとするのなら、最近はアウトレットセンターがあちこちにできつつあるので、そこに流すという手がある。(このアウトレットとは、もともとはメーカー直営店という意味で、流通の中間経費の分くらいを値引きしている店のこと。したがって、価格そのものは「激安」というわけにはいかないし、他社の製品はないが、そのメーカーのものならばひととおりどのサイズでもそろっている便利さがあった。
ところが最近は、安売り店全般のこともこう呼ぶようになっている。)その場合、ブランド名ははがしてしまうことが多い。あそこのブランドがアウトレットに流れた、と評判になると、ブランドイメージに響き、ますます売れなくなるからだ。夏物の場合は、東南アジアのデパートに売る、という手も使える。ただし、これは冬物はダメ。
社員やその家族に売るのもよくある手である。アパレル関係に勤めている友だちがいると、声をかけてくれたりするかもしれない。あとは、バッタ屋に売り飛ばすという、最後の手段もあり、これは捨てるよりはマシ、というもの。そんなことをすると、高い値段で買ってくれたお客さんに申し訳ないと、本当に捨ててしまうメーカーもあり、これは、資源リサイクルの面からはあまり感心はできないが、顧客と自社のブランドに対しては良心的ともいえる。

国立病院の入院予約は困難

日本人は、「お上」の威光に弱いという国民性を持つので、大学も国立大学のほうが私立よりは上と思っている人が多いし、病院も国立病院のほうが、民間の病院よりも、いい病院だと思われている。
民間は、何といっても利益をあげなければならないので、儲け主義に走りがちだが、国立病院の場合、採算は関係ないはず。何せ、税金によって建てられ運営されているのだ。
当然、採算を度外視した良心的な治療をしてくれるはず、と多くの人が思っても無理はない。そんなわけで、国立病院はどこでもいつでもベッドがいっぱいで、簡単には入院できない。事実、ベッドは満員である。しかし、そのなかには、もうとっくに退院してもいいような患者もけっこういるとか。というのも、国立病院といえども、やはり利益をあげなければならないのである。

病院の収入はすべていったんは国家の収入になる。そして、その実績によって来年度の予算が決められるのである。多くの患者を診察しないことには、来年度の予算が少なくなってしまうという点では、民間の病院と経済的構造は同じなのだ。
となれば、ベッドには空きがないのが望ましい。ホテルの部屋と同様に、稼働率が問われるのである。だが、ホテルの場合は客が自分で何日滞在するかを決めるが、病院の場合は病院側が決めることができる。もう退院してもいい患者でも、次の患者がまだ決まっていないと、「もう少し様子をみましょう」といって引き延ばせるのだ。そういう患老Hは治療する必要はなく、ただ寝かせておけばいいのだから、病院側も楽。それでいて、ベッドは常に満床状態で、よくはやるいい病院と外からは見える。いつも満床なのは、こういう事情があった。

医者への謝礼金について

外来で仕事をしていると、必ず患者さんに聞かれることとのひとつに「医者にはいくら払えばしっかり診て貰えるのか?」ということ。
病院側では一切そういった謝礼は受け付けない!と表示されているがやはりそれは本音と建て前のような部分で医者も人間だからある程度謝礼を払えば優先的に診て貰えるだろう?と思うのは人間として当然の心理かもしれない。

医療費は、自由診療の場合は医師が勝手に決めていいが、保険診療の場合は、一律。初診料はいくらとか、胃の摘出手術はいくらという具合に、治療の内容ごとに細かく決められている。
この金額は新米の医師でも、ベテランの医師でも同じ料金ということで、医師のなかには不満の声も大きい。患者の側としては、同じ料金ならば、誰だってベテランの名医に診察、治療を受けたいと思うものだが、そうはうまくいかない。

有名大学病院に行っても、助手クラスの若い医師が担当するのが普通で、教授クラスに診察してもらうには、紹介がないと、まずは無理。たとえ、紹介がなくても、有名教授に診てもらえ、手術になったときに執刀もしてもらえるとしたら、よほど珍しい病気の場合。自分の研究の材料になると思えば、教授も乗り出してくるようだが、そのために変な病気にかかるわけにもいかない。
誰かの紹介で診察はしても、手術は若いのにまかせる、というケースも多い。いわゆる病院でオペを行う「実質部隊」というのは若い医師が行っているケースが多い。

外科の教授に自ら執刀してもらうには、謝礼金を払わないと、まずは無理といわれている。国立病院の医師も同様で、ようするに大学教授も国立病院の医師も、給料をもらって働いている。そういう医師は開業医に比べて正規の収入が少ないので、それを謝礼金で補って生活している。
その相場は、100万円と一般によくいわれる。あくまで、患者が勝手に持ってくるものだから、料金表があって、胃ガンなら100万、肺ガンは120万とかのランクがあるわけでも、この教授はいくら、あの教授はこれだけ、と明確に決まっているわけでもない。

また、あげるほうの社会的地位、経済力によっても異なる。会社の社長とか芸能人のような有名人だと、やはり高く包んでいるようだ。謝礼の額が少ないと、学会の準備があるとかで、助教授なり助手にまかせてしまほうごううこともあるし、その逆に高額だと、最後の縫合まで自分でするとか。このように、謝礼金の額によって、扱いに差別があるようだ。とはいえ、謝礼金を出さなかったからと、ひどい治療をされるわけでもない。飛行機だって、エコノミーに乗ろうがファーストクラスだろうが、ちゃんと目的地に着くし、墜落するときは同じで、ただサービスがいいだけの違い。それと同じと思えばいい。無理して謝礼金を包む必要はない。だいたい、毎日のように多くの患者がいろいろなもんを持ってきたり謝礼を持ってくるのでいちいち覚えていられないそうだ。

ベテランナースになるにはまだまだ?

ベテランのナースになると、、
手術のとき、男性の陰毛を平気で剃れる(最初は顔から火がでそう)
血を見ても、なんとも思わない(これは最初からそうだった)
患者の求愛を軽く受け流せる(いちいち本気にしていたら仕事にならない)
医者より注射がうまいもの(ドクターにはひどいのが多い)

だが、もうひとつ、患者の死期がわかる、という特技をもっている。医師は患者の病状などを診察して、「あと1ヶ月もてばいいほう」などというが、看護婦が患者の死期を予知するのは、別な理由による。
その理由とは、いわゆる死臭。生きているのに死臭とはミョーな話だが、ベテランの看護婦になると、「この患者さん、明日か明後日には死ぬな」ということが、患者の体から発する臭いでわかるのだという。その臭いは、「甘くすえたような臭い」だとか。医師の判断よりずっと当たると、当時の婦長さんが言っていたのを時々思い出す。

これがいいか悪いは別として看護師という仕事が「天使の…」と思っていたのは学生時代のはかない妄想だったと思う。

銀行は15時に閉めた後何をしている

今日は、外来勤務の日で外来の患者さんもいつよりだいぶ少なかった。珍しい…

銀行に勤めているというOLの人と話をする機会があってちょっと面白かった。
それは「なぜ銀行は15時で閉まってしまうのか?」ということ。

家計簿をつけていると、時々どうしても現金と帳面の金額とが合わなくなる。もっと大きな金額の動く、商店の場合も、そういうことは多い。
お店でお金が合わないのは、おつりを間違えたとか、もらい忘れた場合が多いが、あるいは店員がポケットに入れてしまったのではないかとの疑惑も生まれ、店内は険悪な雰囲気となる。数あるお店のなかで、伝票と現金とを合わせることに最も厳しいのは、いうまでもなく、銀行である。
幹部クラスが何億円もの不正融資をしている一方で、末端の行員はたとえ一円でも合わないと、合うまで深夜まで帰れない。三時の閉店後の店内はひたすらお金の勘定であけくれる。最近は機械での入出金が増えているが、まだまだ窓口での現金の受け渡しは多い。まずはその伝票と実際の現金とがピタリと一致するかどうか。また、銀行のメインの仕事は貸付け。その担当者は昼間はお店にいないで、外回りをしている。
そうした得意先を回っていた営業担当が支店に戻って来るのは、閉店後。そうした外回りの人たちが帰ってくると、新しい伝票と現金とが動くことになる。そんなこんなで、夜遅くまでかかるのだそうだ。
どう計算しても、伝票と現金とが合わなくて、現金のほうが少ない場合は、みんなでいくらかずつ出し合って、合うようにしてしまうこともあるらしい。そのほうが早く帰れるからだ。ときには「あゆみの箱」なんていうのが窮地を救ってくれることもあるそうだ。しかし、問題は現金のほうが多いとき。お客さんからもらったお金が余っているということは、本当はどこかに入金するように指示した伝票があるのに、それがないことを示す。場合によっては、それが原因で手形が不渡りになることもありえる。銀行のミスで不渡りが出たとなると、損害賠償という最悪の事態にもなりかねない。花から、こっちのほうが大変になり、徹底的に伝票のチェックをしなければならないという。普通のお店だと、伝票の金額よりも現金が多ければ、「ま、いいか」ですむことが多いのに、銀行は、その道となるのである。